●維摩一黙

読み(ひらがな)

ゆいま いちもく

意味

ことばで説明するより、黙っていたほうがよい、ということのたとえ。

解説

この四字熟語は、仏教の言葉で、維摩経の「入不二法門品」という中で説明されているひとつの場面を言った言葉のようです。 維摩経は、お釈迦さんが、生きていた頃のこととして書かれたもので、大きな町に住む大金持ちの維摩という人に関する物語のようです。 維摩経の中で、この四字熟語に使われた内容は、次のようなものです。『維摩が、不二の法門に入(はい)るとは、どのようなことであるかを菩薩たちに質問をしました。 菩薩たちは、「善と悪は不二」、「生と滅は不二」、「汚れと清らかさは不二」などと次々に答え、最後に、文殊菩薩が、 「不二とは言葉では説明ができないことである」と説きました。そして、文殊菩薩は、維摩に「不二の法門に入るとは、どのような ことですか」と質問しましたが、維摩は、黙ったまま、ひとこともしゃべらなかった。』というお話しのようです。 仏教で説く法は、言葉で説明ができないということを、維摩という在家の信者が、言葉を使わず態度で示した ということと思います。昔からこの場面を、「維摩の一黙、雷の如し(ゆいまのいちもくらいのごとし)= ”維摩の黙ったようすは、まるで雷の響きがあたり一面にいきわたるようだ”」と、たとえられてきたようです。 つまり、それだけ、「維摩の一黙」には、大きなちからがある、ということかと思います。

重要語の意味

維摩=「ゆいま」と読み、お釈迦さんが生きていた頃の人。ヴァイシャーリーに住む大金持ちで妻子もいた仏教信者。 仏教を深く信じ悟りを開き人々を救済する程のちからがあった人で、大乗仏教を極めた菩薩。  一黙=「いちもく」と読み、たくさんいる者の中で1人だけ黙ること。  黙る=「だまる」と読み、ことばを言わなくなる。  維摩経=「ゆいまぎょう」と読み、初期の大乗経典。物語の設定は、お釈迦さんが生きていた頃、 出家をしないで俗人として生活をしている仏教信者の維摩居士が主役となって、お釈迦さんの弟子や菩薩たちを相手に大乗仏教とは 何かを説明しようとしたもの。紀元後100年頃のお経。  入不二法門品=「にゅうふにほうもんほん」と読み、「不二の法門にはいる」というひとつの章。  不二=「ふに」と読み、対立する2つのものは、ひとつであるということ。悟りのひとつで空の立場から 見た物事の区別をのりこえた心の持ち方。  法門=「ほうもん」と読み、仏の教え。仏の道へ入る門。  菩薩=「ぼさつ」と読み、仏になるために悟りを求めている大乗仏教の修行者。  文殊菩薩=「もんじゅぼさつ」と読み、知恵が一番すぐれている菩薩。  法=「ほう」と読み、ダルマ。真理。縁起。 

いわれ(歴史)と重要度

維摩経・入不二法門品。   重要度=☆

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維摩一黙


【維摩経講話】