●捨妄帰真

読み(ひらがな)

しゃもう きしん

意味

妄想を捨てて、真実に立ち帰ること。

解説

この言葉は、柳田聖山さんの「ダルマ」という本に出てくる四字熟語です。 「ダルマ」という本は、初期の禅の思想である二入四行論を解説した本で、二入四行論の「理入」について説明している所に出てくる 言葉です。二入四行論では、悟りに到る方法は、いろいろあるけれども、要約すると理入と行入の2つに つきると説いています。理入は、2つの段階に分けて説かれ、まず、「経典などによって仏教の根本を知ることであり、 凡夫と聖者は本来、同じ性質であるけれども、凡夫は、さまざまな誘惑に惑わされ、その事実をなかなか知ることが できないことを認識すること」と述べ、その後に、この「捨妄帰真」を説いています。理入の第2ステップは、 重要語にのせておきました。音吉が、この四字熟語の解説を書いても説得力がありませんので、別の経典にある類似の 文章を引用して解説とします。経典の文章は、3つありますが、語意の取り違えを避けるため、現代語訳をやめ、 読み下しの原文のまま、のせておきますので参考にして下さい。また、類似の四字熟語を2つのせておきます。 @法華経・観普賢菩薩行法経、「一切の業障海は、皆妄想より生ず、もし懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。」    A華厳経・宝王如来性起品、「妄想顛倒の垢縛を離れしめ、つぶさに如来の智慧の、その身内にありて、仏と異なることなきを、、」    B天台小止観・魔事を覚知せよ、「もし、邪を遣って、正に帰せんと欲せば、まさに諸法の実相を観ずべし。」    C十牛図・返本還源。    D法華経で説かれている六根清浄。    音吉もそうですが、悟りを得ていない凡夫は、自己の本当の心を正しく見ることが出来ないので、現実とは違ったものを心に浮かべ、 間違った考え方をしてしまうのだと思います。

重要語の意味

捨=すてる。やめる。  妄=みだり。でたらめ。うそ。  帰=かえる。もどる。  真=まこと。ほんもの。自然のまま。  妄想=「もうそう」と読み、現実にないことを頭の中で思い浮かべること。本来ないものを見ること。  捨てる=「すてる」と読み、必要のないものとして持たないようにする。  真実=「しんじつ」と読み、@ほんとうのこと。A真理。  立ち帰る=「たちかえる」と読み、もとの状態にもどる。  柳田聖山=「やなぎだせいざん」と読み、1922年、滋賀県の禅寺に生まれる。臨済学院専門学校卒業。禅研究の第一人者。2006年逝去。  ダルマ=仏教を伝えるために中国へ渡ってきた婆羅門の僧。崇山少林寺にて面壁九年の坐禅の後、弟子に教えを伝えた。菩提達磨。  二入四行論=「ににゅうしぎょうろん」と読み、20世紀初めに敦煌の石窟寺で見つかった古文書。二入とは理と行のことで、理入は教えの原理に よって真理を悟ること。行入は、次の4つの実践方法がある。@報怨行。A随縁行。B無所求行。C称法行。  理入=「りにゅう」と読み、第二段階として、教えを用いず理と合体して分別なく寂然として作為のないこと。  凡夫=「ぼんぷ」と読み、煩悩によって迷い苦しんでいる人。  聖者=「せいじゃ」と読み、悟りを得ている者。  法華経=「ほけきょう」と読み、大乗仏教の初期の経典。久遠成仏を説くお経で、開経・無量義経と結経・観普賢菩薩行法経がある。  業障海=「ごっしょうかい」と読み、過去の悪い行為によって生じた障害のうみ。  懺悔=「さんげ」と読み、自分のした過ちをくいて許しを求めること。六根のさんげ。  端坐=「たんざ」と読み、正しく坐ること。坐禅。  実相=「じっそう」と読み、この世界のありのままのすがた。真如。  華厳経=「けごんきょう」と読み、大乗仏教の初期の経典。十地品をベースに仏の悟りの境地を説いたお経。  顛倒=「てんどう」と読み、間違った考え方をすること。勘違いをすること。  垢縛=「くばく」と読み、まとわりついている煩悩。まとわりついているけがれ。  天台小止観=「てんだいしょうしかん」と読み、天台大師智が若い頃、書き残した坐禅の指導書。  魔事=「まじ」と読み、坐禅の修行の時に生じる魔に関すること。  邪=「じゃ」と読み、よこしまなもの。正しくないもの。  遣る=「やる」と読み、心にかかることを払いのける。  十牛図=「じゅうぎゅうず」と読み、禅宗で用いる書物。悟りに至る段階を10に分け、絵と短い文章で修行の移り変わりを示したもの。  返本還源=「へんぽんかんげん」と読み、十牛図の第九ステップ。もとにかえりみなもとに還る。本来清浄にして一塵を受けず。 

いわれ(歴史)と重要度

二入四行論。   重要度=☆       難易度=むずかしい。

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捨妄帰真