●心ここに在らざれば視れども見えず

読み(ひらがな)

こころ ここにあらざれば みれども みえず。

意味

心が、そのことにしっかり集中していなければ、たとえ視線が、そこへ向いていても、 何も見ていないのと同じことである、ということ。

解説

この句は、礼記(らいき)という中国の古い本の中に、書かれている言葉で、いかりや、 おそれ、なやみなどで、心が、他のことにとらわれない状態で、物事に接しなければ、ならないという 意味で述べられているようです。この句の後ろには、見ることと同じように、聞くことや、 食べ物を食べて、味わうことも同様に、正しい心がなければ、正しく判断できないと言っている ようで、精神を集中させることの重要性を言っているようです。又、「心ここに在らず」という 言い方もします。

重要語の意味

心=人の体の中にあると考えられているもので、知識や、感情、 何かをしようとする思いなどの働きをするところ。  在らざれば=存在が確認されなければ。  視れども=視ることをしているけれども。  見えず=見ることはない。  視る=注意してしっかり見る。見る。  見る=目を使って外の世界にあるものが、何であるかを知る。  礼記=「らいき」と読み、儒教の礼に関する内容を集めた書物。 大学、中庸、曲礼、内則、王制、月令、礼運、楽記、しい、などがある。 

いわれ(歴史)と重要度

礼記(らいき)の中の、大学(だいがく)・正心。   重要度=☆☆☆

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【儒教の大学・中庸】