●坐禅の構造と実践   

読みと(出版社)

ざぜんの こうぞうと じっせん。     (木耳社)。

紹介と感想など

この本は、昭和六十三年(1988年)に印刷されています。いつ頃、買ったのかは、よく覚えていませんが、 第一章・坐り方から第三章・呼吸法あたりまで読んで、それ以降は詳しく見ていませんでしたが、2015年に 再び初めから、一日2ページを目標に、しっかりと読むようにしました。裏表紙には、「近代の禅傑(ぜんけつ) 山本玄峰・中川宗渕老師直伝の坐禅の要諦」と書かれています。山本玄峰老師は、白隠禅師ゆかりの龍沢寺などを 再興した方のようです。全体を通してなかなか難しい本ですが、五章ぐらいまでは、比較的読みやすくつづられていいます。 特に、第四章・無の実践と第五章・見性経験は、私たちの日常生活では殆ど気づくことができない世界観が詳細につづられていて 新しく知ることが多くあり、とても勉強になりました。感謝しています。また、第六章・臨済の四料簡と第十章・洞山五位は、 かなり難しかったです。特に洞山五位は、殆ど理解できていないと思います。また、本書で仏教の特長をわかりやすく説明されていた 箇所がありましたので、その文章を引用し書き出してみます。「世界を真に理解し、存在の認識に達するためには、意識習性の 外側に出て、各個人の主観を離れた、普遍的主観に帰入する要があります。各個人にわかれた主観を個我と呼ぶとして、この個我 の作り出してくる矛盾に人は悩むのです。優れた精神ほど余計に悩むものです。この問題と正面切って最も痛切に取っ組んだのが仏教です。」   [総ページ数=278]

印象に残った言葉

これが精神集中のための波状呼気でなくて、何でありましょうか(11)    数息観は、動中、静中、両門へ向かう出発点(67)    舞台裏で、如何に多くの想念のたまごが犇めいていても(106)    坐禅は、このヘドロ層の浚渫で(108)    物質は禅では死んだものではなく、精神と同質のものであります(249)    昔から大死一番と言われている、黒暗暗の世界です(259)    一念一念が業因業果を作る(276)    丹田。    看話と波状呼気。    随息観。    第一念。    第二念。    第三念。    意識の習性。    意識の舞台。    舞台裏。    想念。    心的衡動。    犇めいて。    内圧。    意識のヘドロ層。    地獄の呻き声。    メシヤ思想。    音楽を聞く。    照顧作用。    笑い。    内圧の放出。   

著者の紹介

関田 一喜(せきた かずき)。
1893年、高知県高知市生まれ。
1913年、高知護国禅会入会、坐禅修行。山本玄峰老師に参禅。
1933年、龍沢僧堂師家、山本玄峰老師に師事。
1968年、ハワイ、マウイ禅堂・滞留。
1973年、ロンドン禅堂・滞留。
1987年、示寂。


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